DECORREという食器はわたしが提唱するメソッドの全てと言っても過言ではありません。

保育園で先生や栄養士に給食や食育の指導をしたり、レストランやショップ、食空間のプロデュースやデザインをしたり、地方創生やお土産の企画や総合プロデュースをしたりと、わたしは言わば『食のなんでも屋さん』であるフードブランドクリエイターです。

そんなわたし『朝日 智都  あさひ ちず』のことについてお話ししたいと思います。

こんな仕事をしていると管理栄養士だと勝手に勘違いされ、有名な大学を出ているのだと思われ、何も話していないうちから何大の何学部?と聞かれますが、わたしは栄養士の専門学校を卒業しています。

大した学歴のないわたしが最初に味わった挫折は、専門での研修の時でした。アトピーがあったため、配属された郵便局で、食中毒を起こすと困るからとほとんど何もやらせてもらえず、手袋をして、ひたすら野菜などの下処理をさせられ、戦力外もいいところでした。

その時初めて栄養士として普通に仕事ができないと気づいたのです。それも卒業を控えた2年になってから…

栄養士として現場で働けないならと、カウンセラーになることを決意して、エステの栄養カウンセラーとして職に就き、働きながら夜間の学校で心理学を学びました。

栄養学と心理学を組み合わせたカウンセリングで結果を残し、それを評価してくれたアメリカに本社がある会社から、健康食品の開発やプロモーション関係の仕事で声をかけて頂き、転職。ロサンジェルスに行きました。そこで現地のニュートリション(日本でいう栄養士)の資格をもつ日本人の先輩に言われた一言が2度目の挫折を味わった瞬間でした。『日本の栄養士とニュートリションを一緒にしないでほしい。私たちはドクターと同じぐらいのレベルで幅広い知識を身につけていて、栄養しか知らないあなたたちとは違うの。そんな知識で給食のおばさん以外に何ができるの?』と25歳の時はっきり言われました。確かに彼女はドクターと同じぐらい信頼されていたし、話しているレベルも違ったため、その違いは歴然でした。英語も全く話せず、さらには知識もない自分は世界には全く通用しないということが痛いほどわかった瞬間だったのです。向こうにいる間、仕事以外はほとんど外に出ずにひきこもり状態で半年間泣き続けました。日本に戻る日にその先輩に言われたことは『人に指導する立場を目指すなら、栄養以外の知識を幅広く身につけなさい。そしてさまざまな経験を自らすることで、はじめて人の話を聞いてアドバイスしたり、カウンセリングできたりする立場になる。あなたにはその力が備わっているから自分を信じて…』と言われました。

先輩はとても怖かったのですが、ヘッドハンティングされて自分ができると勘違いしていたわたしに、世界の厳しさを教えてくれたのだと理解しました。日本国内なら通用することでも世界では全く相手にならないということってたくさんあるんだと。

それから、食品を開発・高齢者デイサービスで給食の立ち上げ・企業の食育イベントの企画実行支援・保育園で現場経験や食育の責任者として先生たちの指導や保護者対応・女性向け魅力アップセミナーの講師・企業研修・レストランのプロデュース・お土産開発・講演・執筆・デザインと書き出したらまだまだありすぎて書ききれないので、ざっくりにいうとこんな経験があって、食に関わる資格や勉強も毎年していたので、たくさん取っていますが、これらについてはまた別の機会にお話ししたいと思います。

そうなんです。話を戻しますが、2度の挫折があり、食の『何でも屋さん』になった訳で…それが、DECOEERを生み出す結果に繋がった訳です。

2人の子どもの子育てと今までの経験から活かし得た全てを入れ込んだ食具。それがDECOEERであり、その中でも、食器の本質を知って頂けますと、『何でも屋さん』のプライドを感じていただけるのではと思います。